めろめろ幸福論

0から始めるゆとり暮らし

心の貧乏性

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我慢しない!

毎日自分にご褒美をあげてご機嫌になろう!

 

と、今週に入ってから1日1回は外に出るようにしていた私である。

散歩しつつ食べたいものを買ったり、気になるものを買ったり、ご褒美を名目に好き勝手やっていたわけである。

まあ楽しい。

息抜きにはなっている。

しかしふと思ったのだ。平日こんなで、休日もっと楽しむためにはどうしたらいいのだ?と。

休日は私にとって特別なもの。

夫に会えるし、遠出も出来る。好きなことをやれる日。

そう、休日は平日より楽しくなければバランスが悪いのだ。1週間単位で見たら平日は頑張る日、休日は体と心を癒す日でないといけない。

私の中ではそう決まっている。

なのに最近、平日まで気を抜いている気がして居心地がよくない。何だか上手くストレスを発散させ過ぎている。

その日のストレスをその日のうちに発散出来るのは一般的にはもしかしてとても良いことなのかもしれない。いいことかもしれないけど不安になっている私である。何故だろう。罪悪感にも似ている。

ストレスを溜めていないとバランスが取れないタイプなのかもしれない。私の軸はいつも不安定で、ストレスに巻き付かれていて、それでバランスが保たれている気がする。それらがないとふわふわしていて気持ちが悪い。私が私でなくなるような不思議で足元が崩れる感覚がする。

こんなおかしなバランスを保っているから私はメンタルが弱いのかもしれない。

 

もしかして新生しちゃう?

生まれかわっちゃう?

 

そんな風に前向きに捉えていいものなのか悪いものなのかの判断がつかない。

メンタル疾患患者は気楽に適当に生きることが回復への近道だと思う。しかしそんな風に生きることに罪悪感を覚えてしまうタイプが一定数いると思う。私のように。

誰かに許してもらえれば、認めてもらえれば、この居心地の悪さも解消されるのだろうか。

多分元来気楽に適当に生きるセンスがないんだろうなと思う。毎日ストレスフリーで生きられるなんて、なんて贅沢なことなんだろう。ある意味貧乏性なのかもしれない。

 

自分の幸せを幸せと、気楽を気楽でいいと認められる、自分に対して寛大な心を持ちたいと思う。

それが出来たら一皮向けたと言えるのかなあ。