育児中でもゆっくり食事がしたい
最近食の大切さを身をもって感じている。栄養のバランスがいい、は勿論のこと、食事を楽しむ、ということがとても大事だなあと。
先日、小洒落たイタリアンのお店にランチをしに行った。ナイフとフォークの使い方も曖昧な私だが、美味しく食べれればいいのだと開き直っていた。
店主のおじさんも気さくで良い人で、美味しいものを食べさせたいオーラが感じられた。私たちは暗黙の美味しく食べたい食べさせたい同盟を組んでいたように思う。勝手な妄想だけど。
初めて食べるお洒落な盛り付けのお洒落な料理の数々に胸を高鳴らせ、ゆっくり腹を膨らませていくのは心地よかった。
おかわり自由の小ぶりなパンがまた美味しくて、おかわりしては瞬時に平らげるから、店主のおじさんに「結構食べる人?」と笑われてしまった。食べます。
面白かったのは、後からきた男性2人組みのお客さん。片方はお腹が減っていなくてコーヒーのみを注文していた。その人がまあ喋る。もう片方の人がメインのパスタを食べていたときも喋りかけていたようで、店主のおじさんに「パスタを食べているときにお喋りするのは、本場では実はマナー違反なんですよ」とやんわり制されていた。
私と夫も美味い美味いと話しながら食べていたのだが、店主のおじさんはチーズをかけてくれたり、オイルや胡椒などを持ってきてくれたりと、美味しい食べ方を伝授してくれるのみで、注意はされなかった。
まあごはん屋にくるのにお腹いっぱいで、セットメニューしかないのにコーヒーだけ注文するお客さんにちょっと良い気はしないよなあ、なんて思ったりして。真意の程は分かりません。
とにかく美味しく楽しく頂くことが出来た。食事って楽しむものなんだなあと実感したランチタイムとなった。
そうそう、つい昨日はランチにラーメンを食べて、近くの本屋でコミックエッセイを何冊か買い求め、昔行ったっきりの喫茶店を訪れたのだ。
ウィンナーコーヒーが好きなので夫にもオススメして、2人でまったり読書しながらコーヒーを啜る昼下がり。
クリスマスソングのかかる店内はお客さんも疎らで居心地がよかった。
最近の休日と言えば、憂さ晴らしのように買い物買い物。平日より忙しく過ごしていたように思う。
でもたまにはこうやって夫婦でのんびり過ごすのもいいなあと、何だか幸せだなあと感じたのだった。
来週には自宅のアパートに帰り、育児や家事に追われる毎日になる予定である。
こんな風にゆっくり食事を楽しむ時間があるかどうかも分からない。
たまにでいいから、またそんな風に食事をしたいなあと思うのであった。
ハッピーなブラックフライデー
ブラックフライデーセールに釣られて、ちょっとだけ遠出したついでにイオンに寄った。自分だっさー!と思ってからどうにも納得出来る服が欲しいのである。
もちろんしまむらのセールも覗いてみたが、結局セール品には目もくれず、定価のキュロットスカートを買ったのだった。これがまた使い勝手がいい。色は相変わらず黒、キュロットスカートだけあってわりと短い丈だがふわっと広がる為、太い足があまり目立たないような気がする。
今度は可愛いワンピースか可愛いトップス!と意気込んでイオンに向かった次第である。
可愛いトップス、これなんか可愛い気がする。でも気取り過ぎてないか?細身過ぎないか?
残念ながらワンピースは気に入ったのがなかったが、トップスは何着か見つけた。赤いチェックのふわふわしたのとか、白い上品そうなニットとか。可愛い。可愛いのだ。可愛いのだがどうも値段が気になって仕方がない。
これに3000円か〜。そんなに欲しいかなあ、これ。
そう考え始めるともう駄目なのだ。
踏ん切りがつかなくなってしまう。ということは大して気に入ってないのだ。この店の中で一番マシなのはこれ、くらいの感じだ。私はよく知っている。本当に気に入ったら値段なんて気にせずに一発で会計に持って行くことを。
なので結局、イオンはぐるぐる歩いて体力を削っただけでさよならした。
代わりに古着屋に寄った。
私はワンピースやスカートは古着でも問題なく着れる人間である。なかなか洗えないニットや夏場にガンガン着そうなシャツなどは、衛生上の問題を考えてしまってどうしても抵抗がある。でも状態と相談しながらならワンピース、スカートはあまり抵抗がない。
肌に触れてる面積の問題かもしれない。
よく分からない基準がある。
そして古着の良いところは流行に流されないものが手に入る点だ。私はワンピースはハイウエストのAラインでないと買わない。他は似合わないから着たくないのである。そんなこだわりを満たすもの、と探して探して発見した。
グレーのチェック、ハイウエスト膝上Aラインのワンピース!
冬っぽい!これからの季節にピッタリじゃないか!サイズも調度良い!
即決だった。2000円、しかもタグ付き。
会計をしてもらったら何故か3割引きされた。ブラックフライデーセール中なので、黒いものを身につけていると割引きされるらしいことをそのとき初めて知った。得した!ラッキー!
ということで、わりと満足な買い物をしてハッピーな私だった。
翌日、そのワンピースを着てオシャレなイタリアンのお店で夫とランチした。
それがまた美味しくってハッピー!
お気に入りの服で美味しいごはん。
すごく癒され楽しめたブラックフライデーだった。
B型×A型=双子
生後3ヶ月を過ぎた双子たち。
最近、個性というか、性格というか、各々の特徴が際立ってきた。
帝王切開で産んだので、姉妹といっても1分違いの差でしかない姉妹であるから、そういうものは特に意識していない。しかし分かりやすいように、ここでは「姉」「妹」と書くことにする。
姉は大らかだ。
寝起きにお腹が減っていても機嫌良くミルクを待つことが出来る。あまり泣かない気がする。我慢が出来る。そして人のことを静かによく見ていて、真似が上手だ。
妹は活発だ。
腹が減っては戦が出来ぬ、とでも主張するかのようにわんわん泣く。思い通りにならないと泣く。我慢が出来ない。自由気ままに遊び、手足をばたつかせ楽しそうにしている。
この違いは、夫と私に似ていると言ってもいい。姉は夫に似ている。妹は私に似ている。私たち夫婦はわりと正反対な性格で、血液型も、夫はB型、私はA型、と各々の特徴を継いでいる。
双子たちの血液型はまだ調べていないので今だ不明ではあるが、二卵性だし同じではないような気がする。
判明するのが楽しみである。
ただ双子の性格の違いを見ていると、何だかなあと思うこともある。
抱っこされている時間はどうしても妹の方が長いし、ミルクもお風呂も妹が先のことが多い。涙は最大の武器である。
しかし抱っこしながら姉に声を掛ける。
あまり訴えてこないのも心配になるものだ。我慢していやしないかとついつい甘やかしがちになってしまう。
私は実は姉のような、あまり感情表現しないタイプに弱いのだ。ヒーロー症候群と勝手に命名しているが、困っていそうな、我慢してストレスを溜めていそうな、そんな人を見ると放っておけない。
(だからいわゆるダメンズに引っかかりやすいのだが)
だからどうしても姉に甘い。
自分では理解出来ないから慎重になっている、と言ってもいい。
逆に妹の性格はよく理解出来る。
私にとても似ているからだ。甘やかされると調子に乗るところもそっくりだ。そっくりで可愛い。そのまま突っ走って欲しいと思う。
そんなこんなで毎日発見があって楽しい。
双子だと言うとよく、同じタイミングで泣くのかと聞かれるのだが、うちはそれはない。
各々好きな時にに泣いたり喋ったり笑ったりしている。
お互いに興味を持ち始めるのはもうちょっと先かな、という感じ。
心の貧乏性
我慢しない!
毎日自分にご褒美をあげてご機嫌になろう!
と、今週に入ってから1日1回は外に出るようにしていた私である。
散歩しつつ食べたいものを買ったり、気になるものを買ったり、ご褒美を名目に好き勝手やっていたわけである。
まあ楽しい。
息抜きにはなっている。
しかしふと思ったのだ。平日こんなで、休日もっと楽しむためにはどうしたらいいのだ?と。
休日は私にとって特別なもの。
夫に会えるし、遠出も出来る。好きなことをやれる日。
そう、休日は平日より楽しくなければバランスが悪いのだ。1週間単位で見たら平日は頑張る日、休日は体と心を癒す日でないといけない。
私の中ではそう決まっている。
なのに最近、平日まで気を抜いている気がして居心地がよくない。何だか上手くストレスを発散させ過ぎている。
その日のストレスをその日のうちに発散出来るのは一般的にはもしかしてとても良いことなのかもしれない。いいことかもしれないけど不安になっている私である。何故だろう。罪悪感にも似ている。
ストレスを溜めていないとバランスが取れないタイプなのかもしれない。私の軸はいつも不安定で、ストレスに巻き付かれていて、それでバランスが保たれている気がする。それらがないとふわふわしていて気持ちが悪い。私が私でなくなるような不思議で足元が崩れる感覚がする。
こんなおかしなバランスを保っているから私はメンタルが弱いのかもしれない。
もしかして新生しちゃう?
生まれかわっちゃう?
そんな風に前向きに捉えていいものなのか悪いものなのかの判断がつかない。
メンタル疾患患者は気楽に適当に生きることが回復への近道だと思う。しかしそんな風に生きることに罪悪感を覚えてしまうタイプが一定数いると思う。私のように。
誰かに許してもらえれば、認めてもらえれば、この居心地の悪さも解消されるのだろうか。
多分元来気楽に適当に生きるセンスがないんだろうなと思う。毎日ストレスフリーで生きられるなんて、なんて贅沢なことなんだろう。ある意味貧乏性なのかもしれない。
自分の幸せを幸せと、気楽を気楽でいいと認められる、自分に対して寛大な心を持ちたいと思う。
それが出来たら一皮向けたと言えるのかなあ。
アラサーだけど可愛い服が着たい
昨日買い物に行ってきた。
いつものパーカーとスキニーで。
服屋で全身鏡を見て愕然とした。
私なんてだっさいんだ!!
そしてデブだ!!!
ファッションに関して手を抜いていた自覚はあったが、だささが神ってる。
そしてデブだ。
やばいと思った。
もう少しマシな服を着なきゃと瞬時に思った。
というのも、その昔私は痩せていた。
体重が30キロ台だった頃はどんな服を着ていてもわりとまともに見えた。
Tシャツとスキニーでも大丈夫だったし、ミニスカートもホットパンツも余裕で履けた。
そんな過去の栄光、というほどのものでもないが、まあそんなものに縋っている今のデブな私がいる。
しかし現実は残酷だ。
今ではミニスカートなんて履けない。
スキニーも決まらない。
ロングスカートで誤魔化すしかない。
ファッションを楽しむにはそれなりの体型でないと私の好き勝手出来ない。
何せ30も手前だというのに、今だにキャピキャピしたファッションを楽しみたいのだ。
まだ20代のうちは腕も脚も出したい。
それなのに自分の体型に目を瞑り、それなりに見えればいいか、なんて誤魔化していたのだ。言語道断の極みである。
好きな服を思い通りに着るには、今の私には努力が必要だった。
こんなムチムチじゃ許せない。
本気でダイエットをしよう。
しかしせめて「今」着る服が欲しい。
服の数は増やしたくなかったが、そんな欲求の前には何の壁にもならなかった。
スカートとブラウス、カーディガンを買いました。
誤魔化し服だけど、まともに見えればとりあえずいいや。
私は母になったけど、それ以前に妻だし女性なのだ。夫とデートするときくらい可愛い格好をしたい。
痩せるまで可愛い格好をしてはいけない決まりもない。
誤魔化してもいいから可愛くありたい。
そんなこんなでダイエットを決意した週末。
お宮参り、お食い初めの大イベントも終わりほっとしている面もあります。
双子を連れて夫の実家へ遠出するのは大変不安だったけどどうにかなりました。
よかった。一安心。
休む努力をしよう
ここ2日、理由の無い涙が溢れて止まらなかった。
疲労感、孤独感、虚無感。
ぐちゃぐちゃになって、ストレスが溜まっていたことだけは分かった。
育児をしなきゃいけないからいつも一人で家に缶詰め。
子どもを連れて遠出しなきゃいけない、守らなきゃいけない義務感。
思うようにストレスを発散出来ないストレス。
正当化されるストレスの元。
知らぬ間に我慢し過ぎて、でも自分は別に頑張っているわけじゃないからストレスなんか溜まるはずがないと思っていた。
私以上に頑張っている人は沢山いるから、誰にも頼っちゃいけないと思っていた。
それが爆発してしまった。
絶望感しかなかった。
夫に仕事を休んで傍にいてもらった。
話を聞いてもらった。
美味しいものを沢山食べて、お酒を飲んで、ゆっくりお風呂に入った。
そしたら大分心が安らいだ。
元々ストレスやエネルギーの管理は得意じゃない。自分の限界も測れない。
やれば出来る。体は動く。
起き上がれなくなったら、死んでしまったら、そこが限界だと思っていた。
でも心の限界は体よりも早くくる。
私が一生懸命になるべきだったのは、現状を頑張り続けることではなくて、一旦休むことだったんだ。
多分誰だってそう。
生活する上で何かしらのストレスを抱えながら、知らず知らずに一生懸命ボートを漕いでる。沈まないように頑張っている。
でもいつまでも全力では疲れる。
だから休む努力や手を抜くことが大事なんだ。
嫌でも一生懸命生きているんだから、休むことを意識しないとボートも漕げなくなる。
傍若無人に見えて、私はわりと人のストレスや気持ちに敏感だったりする。
そういうものは目に見えないから、気にし過ぎてしまう。実はすごくストレスを溜め込んでいるんじゃないか、無理をしているんじゃないか。
だから私は頼っちゃいけない。
弱音を吐いちゃいけない。
そう思ってしまう。
でもその結果として潰れちゃったらよっぽど迷惑や心配をかけるんだなあと分かった。
私なんかエネルギーが0になったら、それを1に戻すのにとても時間がかかる人間だ。誰かに管理してもらえたらどれだけ楽かと思うくらいだ。
だから誰よりも人に甘えて、頼って、我儘言って、休み休み生きなきゃいけないんだ。
そんなことをすっかり忘れていた。
元々強い人間じゃない。
強がりではあるけど。
子どもの前では笑っていたいから、だからこそ私は甘えさせてくれる人の前では素直に弱音を吐いたり、頼ったり、傍若無人であるべきなんだと思う。
どうしたって一生懸命生きてしまうのだから、意識して休もう。
自分へのご褒美いっぱいあげて、ストレスを発散しよう。
気持ちに余裕を持ちたいから、エネルギーが減らない努力をしよう。
私は我儘でいいと認めよう。
自分を見つめ直せた2日間でした。
そして唐突にベビーエプロン作りました。
楽しい!
めんどくさがりの理想の追い方
理想の暮らし、自分、人生。
好きなだけ挙げていいなら挙げられるし、すぐになれるならなりたいと思う。
けど現実はそうはいかないものである。
理想ということは、そこに自分はまだ到達していないのであって、理想に近づくにはある程度の道のりがあるってことだ。そこには努力やら何やらが必要な場合が多いのだろうし、時間だって掛かるかもしれない。
何を言いたいのかというと、もうそれこそがめんどくさい。私は。
あるよ、あるある。
理想の体型、生活、将来像。
ほんとキリがないくらい。
でも努力ってめんどくさい。
こつこつやるのが無理。継続出来ない。
だから納得して進むしかない。
てっぺん目指すのは疲れるから、ある程度のところで、まあよくやったなって思うしかない。
完璧にやろうとするのはほんとに疲れる。
ある程度のところで満足しといて、また頑張りたくなった頑張って、またある程度のところで満足して、ってやりたい。
そっちの方が性に合ってる気がする。
山を一気に登るのは無理でも、休み休みならいけそう。満足したところでやめてもいい。
だってその山は誰に頼まれたのでもなく自分で作った山だし、登る足は自分の足しかないから。
自分のペースでいいし、てっぺんまで登らなきゃ地獄に落ちるわけでもないし、勝手に作った山なんか崩したっていいんだし。
私はめんどくさがりだから登るのすらめんどくさいけど、やっぱり山は一つくらい欲しいから、めんどくさいけど少しずつ登ることにする。
嫌になったらやめる。
楽しければ登り続けられる。
それだけ。
理想なんてものは、人それぞれの近づき方があっていいものだと思う。高いからいいとか低いからいいとかそんなものは自分次第だし、努力の仕方、満足感の得方がある。
みんなみんな同じじゃない。
一番を目指す必要もない。
自分に合った山や道を、好きなスピードや歩き方で進めばいいと思う。
私は私がめんどくさくなくて疲れない方法で進むだけ。
とりあえず運動はめんどくさいから食事制限をして痩せたい。