めろめろ幸福論

0から始めるゆとり暮らし

休む努力をしよう

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ここ2日、理由の無い涙が溢れて止まらなかった。

疲労感、孤独感、虚無感。

ぐちゃぐちゃになって、ストレスが溜まっていたことだけは分かった。

育児をしなきゃいけないからいつも一人で家に缶詰め。

子どもを連れて遠出しなきゃいけない、守らなきゃいけない義務感。

思うようにストレスを発散出来ないストレス。

正当化されるストレスの元。

知らぬ間に我慢し過ぎて、でも自分は別に頑張っているわけじゃないからストレスなんか溜まるはずがないと思っていた。

私以上に頑張っている人は沢山いるから、誰にも頼っちゃいけないと思っていた。

それが爆発してしまった。

絶望感しかなかった。

 

夫に仕事を休んで傍にいてもらった。

話を聞いてもらった。

美味しいものを沢山食べて、お酒を飲んで、ゆっくりお風呂に入った。

そしたら大分心が安らいだ。

 

元々ストレスやエネルギーの管理は得意じゃない。自分の限界も測れない。

やれば出来る。体は動く。

起き上がれなくなったら、死んでしまったら、そこが限界だと思っていた。

でも心の限界は体よりも早くくる。

私が一生懸命になるべきだったのは、現状を頑張り続けることではなくて、一旦休むことだったんだ。

多分誰だってそう。

生活する上で何かしらのストレスを抱えながら、知らず知らずに一生懸命ボートを漕いでる。沈まないように頑張っている。

でもいつまでも全力では疲れる。

だから休む努力や手を抜くことが大事なんだ。

嫌でも一生懸命生きているんだから、休むことを意識しないとボートも漕げなくなる。

 

傍若無人に見えて、私はわりと人のストレスや気持ちに敏感だったりする。

そういうものは目に見えないから、気にし過ぎてしまう。実はすごくストレスを溜め込んでいるんじゃないか、無理をしているんじゃないか。

だから私は頼っちゃいけない。

弱音を吐いちゃいけない。

そう思ってしまう。

 

でもその結果として潰れちゃったらよっぽど迷惑や心配をかけるんだなあと分かった。

私なんかエネルギーが0になったら、それを1に戻すのにとても時間がかかる人間だ。誰かに管理してもらえたらどれだけ楽かと思うくらいだ。

だから誰よりも人に甘えて、頼って、我儘言って、休み休み生きなきゃいけないんだ。

そんなことをすっかり忘れていた。

元々強い人間じゃない。

強がりではあるけど。

子どもの前では笑っていたいから、だからこそ私は甘えさせてくれる人の前では素直に弱音を吐いたり、頼ったり、傍若無人であるべきなんだと思う。

どうしたって一生懸命生きてしまうのだから、意識して休もう。

自分へのご褒美いっぱいあげて、ストレスを発散しよう。

気持ちに余裕を持ちたいから、エネルギーが減らない努力をしよう。

私は我儘でいいと認めよう。

 

自分を見つめ直せた2日間でした。

そして唐突にベビーエプロン作りました。

楽しい!