めろめろ幸福論

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新婚ラブラブの末路は

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私は極端な人間である。

どちらかというと物事を白か黒かで判断したくなる。「これはこうあるべき」と自分の理想論を他人に押し付けることは好きじゃないから、人に強く言うことはあまりなくのほほんとしているのだけれど、「自分はこう思う」はわりとはっきり言うタイプであったりする。

実は「こう思う」の中には譲れないものもあって、真っ先に思い浮かぶのは「愛情は無償であるべき」と「永遠なんてものはない」ということだ。

これは私が望むことと、望まないことだ。

 

家族からの愛情、恋人からの愛情、友達からの愛情。様々な形があるけれど、私が欲しいのは「無償の愛」だ。見返りを求めたら、それは愛情とは言わないような気がしている。

無償の愛は甘えと信頼で成り立つとも思っている。多少の我儘も悪戯も、許してくれるだろうという甘えがあって成り立ち、信頼関係が無ければ、一つの失敗が次へのステップ(仲直りや更生など)へと繋がらないのではないかと考える。前提として、愛とは相手のことを考えて自分勝手に注ぐもの、と思っている。

求められて与えるものでも、身勝手に注ぐものでもないような気がする。

 

また、「永遠」という言葉は胡散臭い。結婚式で永遠の愛を誓ったカップルのどれ程が別れ、心が離れてしまったのだろうと考えると、そんな約束は嘘っぱちだと思ってしまう。永遠なんて、特に人の心の移ろいなんて、一時的な感情の高ぶりに左右されてしまうものだ。なんて脆いんだろう。永遠なんて言葉は胡散臭いくせに重たくて嫌いだ。だけどそれを望んでしまうのだからタチが悪いものだ。

スタートラインに立って誓うんじゃなく、人生の最後に来世のことでも思って誓って欲しい。

 

捻くれているもので、こんなどうでもいいようなことを真剣に考えていたりする。でも他人には求めない。期待すると苦しくなることが多々あるから。

自分の信条くらいに留めておくのがいい気がする。